プロのインタビュアーに、
インタビューしてもらうことになったとします。
当日は、インタビュアーからあれこれ聞かれ、
いろんなことを答えます。
そうして後日、
インタビュー記事が出来上がってきます。
話したのは、嬉し恥ずかし、
ドキドキしながら記事を読みます。
しかしなんだか、気になる表現もある。
「タイトルはこう直して」
「この表現は間違いを招きそうだから、もっと長く解説した文章を送るよ」
「それから、こことここ、入れ替えて」
「あと、言ってないんだけど、この文章も加えといて」
・・・こんな風に原稿にびっしりと赤ペンを入れて戻す。
もし、インタビューされた人が、
こういう行動をとったらどうでしょうか。
おかしいですよね。
* * * *
しかし動画制作だと、これが起こるんです。
シナリオや企画もまとめ、
絵コンテも納得し、
撮影当日もモニターチェックも欠かさないのに、
編集して終わった後の動画に対し、
クライアントは膨大な変更を希望します。
シナリオも、
絵コンテも、
撮影当日に話したことも、
全てすっ飛ばして変更を希望します。
変更する理由が、
「焦点が合ってない」とか、
「希望したものを撮影してない」とか、
明らかに撮影側のミスならば理解できます。
しかし、
私の経験ではほとんどの変更が、
「前に言った表現を変えたい」とか、
「やっぱりこれも入れたい」とか、
途中で気が変わった類のものなのです。
しかも、クライアント社内で話し合う度に、
2転3転することもままある。
その度に文字は増え、尺も長くなりがち。
お互いに哀しい。
こんなことが、あっちこっちで起きていると感じます。
これは、どちらが悪い、
と言い切れるものではないと考えています。
動画制作に造詣が深い人でない限り、
★文字や絵コンテから完成動画を推測できない
という一点に尽きるのでしょう。
だから、いざ完成してみると、
思っていたのと違い、あれもこれもと変えたくなっていく。
動画制作業者も、
クライアントも、
「少しでもいい作品を作りたい」
という共通のゴールを目指しているはずなのに、
意見が噛み合わない。
・・・哀しい。
・・・虚しい。
プロはなぜプロなのか。
それは、
機材が触れるからだけじゃないんです。
<視覚的な見せ方・伝え方>を知っている。
作った動画の構成や、素材の取捨選択、
テロップのタイミング、フォントや大きさ、
ポイントのまとめ方・・・
そういったことこそが、プロの技です。
それを片っ端から修正していくのは、
ちょっともったいないのでは、と思うんです。
商品やサービスを扱う人は、
自分で客観的な判断がしにくいことが多い。
だから、動画制作者が一つの形にしたものも、
外からはこう見えている、という参考例。
一方、動画制作者側も、
もっとうまいやり方・提案方法を工夫していく必要があるでしょう。
これは、残念ながら答えがないし、
なかなか現実的ではないことが多い。
クライアントとのコミュニケーションを濃く長くすればいいかもしれない。
でも、その分、制作費用に跳ね返ってきて選ばれなくなる。
制作者の苦悩も、痛いほど理解できます。
* * * *
あまりにケースバイケース過ぎるし、
いつもこういうことが起きているわけでもない。
今回は、あまりに答えのない話題を取り上げてしまいました。
でも、制作者にしてもクライアントにしても、
思い当たる節がある方は、いるんじゃないかと思うのです。